日本国内の英語教育における3つの問題点

英語学習は誰しもが習い事にしようと検討した経験があるのではないでしょうか。

「私の息子/娘には英語ができる人材になって世界を飛び回ってほしい」「これからはグローバルの時代だ。自分ができなかった分、国際的に活躍してほしい」等、様々な考えがあるでしょう。

しかし過去30年間、国内で英語教育が成功しているという話は聞いたことがありません。

なぜか。そしてどう対策したら良いのか。

問題点を認識しているとしていないとは全く違います。

なぜ日本人の英語力が低いのか。

不思議と日本でスルーされている最大の問題点は3つあると思っています。

私、マルコムは日本人の父、アメリカ人の母を持ついわゆる日米ハーフです。

これを言うと皆様が真っ先に思い浮かべるのは、「あぁ、ハーフだから英語話せるんでしょ。環境が違うのよ。」

たしかに私が英語を話せるという結果の背景には恵まれた環境があったことは言うまでもありません。自分の環境には私も大変感謝しております。自分で言うのもなんですが、そんな恵まれた環境にあった私ですら血がにじむ努力を続けた結果の「今」があるのです。しかし、多く日本人はその恵まれた環境がないにも関わらず、正しい英語学習に力を入れてきませんでした。なぜ正しい英語学習を研究してこなかったのか。

英語が大切であると30年以上も前から言われてきたにも関わらず、日本はこれを放置してきました。

暗記に頼った英語学習を指導した日本政府と文部科学省は大いに反省してもらわなければなりません。

すべては暗記型学習が元凶です。日本の暗記型の勉強法は知識をアウトプットする受験などには向いているのですが、英語学習といった答えが複数あるものには非常に相性が悪いものです。

お父さまお母さまの中学生時代を思い返してください。来る日も来る日も英単語を暗記していた日々だったのではないでしょうか。この苦しみの連鎖が更に英語が嫌いになる理由となります。

中学時代に学んだ英単語の綴り、意味、どのような文で使うかなど今でも覚えている方は相当な暗記力の持ち主です。

ほとんどの方は中学時代に学んだ英語は何も覚えていないのではないでしょうか。むしろそれが普通です。

そして口を揃えてこう言います。

「英語が苦手です」

当然ですよね。人間の頭は必要のないものから忘れるようになっているので、20年も前にテストの為に暗記した英単語なんて覚えているはずがありません。ましてや普段から使わない英単語なんて真っ先に頭から消去されます。

 数年前に某大手学習教室に通っているお子様の英語教材を見たときは衝撃で震えました。驚くことにその大手学習教室では、各英単語を形として捉え、その「形」と「日本語訳」から英単語を答えさせるものでした。形と日本語訳から推測させるなど、そんなトンチンカンな学習なんてあるのかと空を見上げてしまいます。

よっぽど英語力がない人間が教材開発をしているか、もしくは日本人が未来永劫英語ができないように仕向けているのかのどちらかです。いずれにせよ最悪の教材でした。

たしかに英語でもある一定は暗記しなければならないものもありますし、短期的には暗記をすればその時は単語の一つや二つは覚えられるかもしれません。ですが英語を本気で学習し、身に着けようと思った時にそれが適切な学習方法ではないことは間違いありません。

日本の場合においては漢字を学習する際、形をそのまま暗記するといった学習方法が主流だと思います。少なくとも私はそれで漢字を覚えましたし、より効率の良い方法も指摘されたことはありませんでした。とにかく覚えろ。何百回と書けという学習法です。これは英語学習には全く通用しません。

成り立ちが全く異なる言語に暗記学習を適用するのは非常に勿体なく、残念でなりません。

人間は失敗がないと成長はできません。失敗を許さない社会は学びを阻害してしまいます。人間は失敗するものです。失敗から学んでこそ成功を掴みとることができるのです。そしてこの21世紀の時代はVUCAの時代だとも言われています。

V「Volatility(ボラティリティ:変動性)」

U「Uncertainty(アンサートゥンティ:不確実性)」

C「Complexity(コムプレクシティ:複雑性)」

A「Ambiguity(アムビギュイティ:曖昧性)」

ビジネスシーンで最近よく使われるVUCAですが、子供たちもVUCAの時代にあった勉強も必要ではないでしょうか。この時代においては常に決まった答えを追い求めるのではなく、柔軟に頭を働かせることが大切であり、そしてその勉強に欠かせないものが「失敗」です。

英語はまさに失敗しながら成長していく特性があり、VUCA時代の勉強としては相性が良いのです。間違いを繰り返しながら、その時正しい答えを出してくいくという柔軟性が大切です。答えは一つではなく複数場合もあるし、時と場合によってはその答えも変わってしまうこともあるというものです。

私が中学生の頃、英語のテストでこんな問題がでました。

Q:「彼はテニスが好きです。」この文を英語に訳してください。

これに対して私はこう書きました。

A:「He likes tennis.」

しかし、返ってきたテスト用紙にはしっかりと大きなバツがついていました。ご丁寧に赤字でこう記されていました。

「He likes to play tennis.」

いや、たしかにそうかもしれない。それも正解ですよね。しかしそこまで細かくするのであれば、日本語文も「彼はテニスをすることが好きです。」と書くべきです。単なる意地悪なのか。

たしかに先生からしたら、「play tennis」を習ったから出題したのだと思いますし、逆になぜ「to play」を入れなかったのかと思っていたのでしょう。効率よく採点するには、模範解答と同じにするということも理解できますが、わざわざバツにする必要が果たしてあったのか。

少なくとも私の答えは不正解ではないはずです。

正解にのみフォーカスする勉強は今一度考え直す機会が来ているのかもしれません。

日本の英語教育の魔界はローマ字とカタカナです。カタカナはまだ良いとして、ローマ字に関しては小学生に百害あって一利なしです。

背景として日本語には漢字、ひらがなやカタカナが存在し、読み方を知らないと絶対に読めないものばかりです。そこで海外の人が日本語を発音できる(読める)ように作られたのがローマ字です。

漢字廃止論とローマ字公用語案

幕末の時代に前島密という人物が【漢字廃止論】を唱えました。この人物は日本郵政の父と呼ばれるくらいの大物であり、「漢字のような複雑極まりない文字を覚えているから教育が普及しない」との主張をもとに実際に徳川慶喜に提案したというので驚きです。ここから議論が始まり、福沢諭吉も「難しい漢字を使わないようにすれば、2千か3千の漢字があれば十分だろう」という主張もされていたようです。

この漢字廃止論に乗じて、ローマ字や表音文字の仮名のみを公用語にしようとする【かな派】や【ローマ字派】も出現し始めました。昭和に入り、日本は戦争が本格化し漢字廃止論は一旦なくなりましたが、第二次大戦の敗戦後、GHQが漢字廃止論に肯定的になります。一時は道路標識や公共施設の看板から漢字がなくなり、英語やローマ字が置き換わったと言います。その後交付された「当用漢字表」という普段使う感じを1850字に制限したものから、後々95字追加された「常用漢字」へと変化し、2010年には更に196字が追加された全2136字の「新常用漢字」の改訂となりました。

話が少し逸れたので、ローマ字に戻します。

上記から分かるようにローマ字は外国人向けに作られたものであって、日本人の為のものでないということです。なぜ外国人向けに作られたローマ字を日本人が学校で習わなければならないのか。それになんの意味があるのでしょう。未だに漢字廃止論が議論されているのでしょうか。

我々日本人がそのローマ字を使う時といえば、パソコンを打つとき、外国で自分の名前を書くとき、知らない駅名があった際に見るときくらいではないでしょうか。

実際に日本国内で生活する上で使う時はパソコンで文章を書くときくらいではないでしょうか。小学校では3年生~高学年くらいで習うのではないでしょうか。

言語とは母音と子音で構成されています。日本語においては母音の発音は5つしかありません。「あ」「い」「う」「え」「お」です。いたってシンプルです。英語の母音も「a」「e」「i」「o」「u」時々「y」となっているので一見日本語と同じようですが、発音が日本語とは異なります。それぞれの母音が複数の発音をします。母音と子音をくっ付けて単語を発音するというところではたしかに日本語と同じですが、英語の母音の発音の数は日本語の母音の数に対しておよそ3倍〜4倍で14音〜24音と言われています。(方言により異なります。)

【最強メソッド】フォニックスってなに?

 また、パソコンのキーボードを打つ際にはわざわざローマ字で打たなくても「かな入力」で事足ります。(私個人はローマ字打ちで慣れてしまったので「かな入力」に変えるほうが労力を使うのでかな入力はできませんが)慣れたら、かな入力のほうがタイプスピードも早いでしょう。

英語を打つ際にはアルファベット位置がわからない為に始めは時間がかかるかもしれませんが、子供の吸収力は凄まじいので、あまり気にしなくても良いはずです。自分の名前を英語表記することなんて日本社会では全くないし、その必要があれば、その時に自分の名前の書き方を覚えれば済む話です。そして読めない駅名があってもネットで検索すればすぐにわかることです。わざわざ英語を犠牲にしてまで学ぶ必要があすのでしょうか。

ローマ字の見た目は英語ですが、中身は日本語であるため、子供の頭では混乱してしまいます。子供たちの頭の中では外来語(カタカナ+ローマ字)は英語であり、仮に幼稚園から英語を学んでいたとしても小学校でローマ字を習いだすと「知っている英語の発音と違う。なぜ?」となってしまうのです。小学校では、英語力はそこまで高くない先生が多いでしょうから、英語とローマ字の違いについて口酸っぱく指導できていないと思います。

カタカナ

ローマ字との合わせ技で混乱を招く原因はもう一つあります。それがカタカナです。

漢字が変形してカタカナとなりましたが、現代では主に以下の用途で使います。

・外来語

・外国の人名や地名(日本人であってカタカナで表記される方もおります)

・擬音語、擬態語

・学術用語や生物の名前

・日本語で砕けた表現をする場合(単語をカタカナとひらがなと組み合わせたもの)

単語が全てカタカナである場合は、外来語であることが多く、外来語を日本人にとって発音しやすいように変換しています。ここが発音の悪い日本人と言われる原因ではないかと思います。

更に突き詰めると、日本人にとって英語が難しく思う理由とは、実はローマ字とカタカナが融合しているところだと確信しております。

ケーキという単語を例にとると、英語では「cake」と書きますが、ローマ字では「ke-ki」と書きます。これは英語を日本語発音としてカタカナに直したからではないかと思います。「ke」の部分は英語の発音に近いものですが、「ki」の部分に違和感を感じます。

「Cake」をそのまま音写するなら「ケィック」となるはずです。もちろん日本語程のはっきりとした「ク」ではありませんので聞き取りづらく、日本語として表記することが難しかったことは想像できます。英語ができない人たちに受け入れてもらう為に日本カタカナに無理やりしたのではないでしょうか。時間が経つにつれてカタカナの英語が徐々に浸透していったのかもしれません。

 昔の外来語といえば、オランダ語が多いです。カステラやリュックサックといったカタカナは一見英語のように思えますが、残念ながら通じません。日本の歴史の積み重ねで日本語を英字表記するローマ字と普段使う「バス」や「ケーキ」などといったカタカナの外来語を重ねて理解してしまい、追い打ちをかけるように英語ではない外来語がカタカナも混在している現状も日本の英語力の低さに一役買っているのではないかと考えております。

今でこそ日本国内における英語話者は大勢いますが、戦前の日本で留学生は非常に稀でありながら、英語は留学でしか身につかないものであり、一般市民にとって英語は馴染みが薄かったはずです。英語とその他言語の違いすら分からない当時の人たちはそれが外来言語の種類関係なく、ただカタカナに当てはめていった。そう考えることができます。ローマ字を学校で習うようになった戦後ではカタカナは全て英語であり、ローマ字も全て英語となったのでしょう。

幼い時期から英語を学んでいたとしてもカタカナとローマ字は混乱の元となります。ローマ字学習は日本で何十年も続いているため、早々に無くなることはないでしょう。また、全く必要のないものであるとも思いませんが、未成年者にとっては必要がないものだと思います。

とはいえ、今さら変えることはできません。ローマ字とカタカナは日本語であり、英語ではないと意識することが非常に大切なのではないかと思っております。

今後も「ローマ字と英語は全く違う別物なんだよ」「英語の字を使った日本語なんだよ」と口酸っぱく言い続けるしかないのだと思います。

解決策はあるのか?

ここまで個人的に思う日本が抱える英語教育の問題点を3つ書きました。

こんな根本的な問題は解決できないんじゃない?

いえ、できます!

「英単語の暗記」 解決策➀

まず、第一の問題点である「暗記」の解決策としてはフォニックスで読み方を学ぶこと

暗記という学習法は最終手段であり、どうしても覚えなければならないことのみに徹したほうが良いと思います。日本語では暗記での学習が主流であるため、英語では英単語の暗記ではなく、読み方を学ぶことが最も近道です。漢字のように「」にこだわるのではなく、正しい「」にこだわることが何よりも重要です。形にこだわっていてはいつまでも暗記から抜け出すことができません。ここでは詳しく書きませんが、継続して勉強することも非常に大切です。これに関しては後日の記事に譲ります。

何度も出てくるフォニックスとは何だ?という方は下記の記事をご参照ください。

【最強メソッド】フォニックスってなに?
「間違いを良しとしない正解至上主義」 解決策②

第二の問題点である「間違いを良しとしない正解至上主義」の解決策を解決するには社会全体を相手しなければなりませんが、個人的な考え方を変えることなら可能です。一番手っ取り早いのは、「ミスに反応しない」ことです。

私が日本でよく指摘される単語があります。

「ソーセージ」。

十数年前の学生時代に私が居酒屋で働いていた時には、こんなことがありました。

私が意気揚々とウェイターとして働いている時、お客様から「すみませ~ん、このソーセージの盛り合わせください。」と言われました。

私は元気良く「かしこまりました!ソッセージの盛り合わせですね!」と言うと、お客様から「え、ソーセージでしょ?」と指摘されました。私は「はい、ソッセージですよね。」という言うわけです。でもお客様もお酒が入っているのも手伝って食い下がります。

「君はソッセージと言っている。日本語ではソーセージと言うんだ」と満足そうな顔をして言ってきます。

これは一回ではなく何度も経験しました。

わざわざ指摘して言うほどことなのかと毎度思うわけですが、毎度うっかり「ソッセージですね」と言ってしまい、毎度「だからソーセージでしょ?」というやり取りが発生します。日本語のカタカナという枠に当てはめると「ソーセージ」が正しいかもしれませんが、むしろ英語の発音的には「ソッセージ」のほうが発音が近いです。

正解不正解の不毛な議論は置いておきますが、結論、通じてれば良いのです。英語学習もこの「通じてれば良いか」という考え方で暖かい眼でミスをスルーしてあげてください。一生懸命考え抜いた答えが赤字で埋め尽くされれば、やる気というのは無くなるものです。

「ローマ字とカタカナのミステリー」 解決策➂

ローマ字やカタカナは何百年以上も前からあり、学校を巻き込んですぐにどうこうすることは難しいと思います。

まずは「ローマ字は英語ではないんだよ」と繰り返し教え、幼少期から英語学習を始めることが大切です。

幼少期から英語学習を始め、フォニックスの基礎をしっかりと不動のものとすることでローマ字とカタカナの魔界に迷い込むことも圧倒的に少なくなるはずです。日本では英語学習が未熟ゆえにその他の外来語からなるカタカナと混同してしまうのです。英語力を伸ばせば、英語話者には「リュック」ではなく、「バックパック」とすんなり言うことができるのです。

ここで毎度おなじみの「幼少期に母語が固まっていないのに、他の言語を学ばせることは良いことなのか?」という議論についてはここではあえて触れず、結論のみ言うと幼少期から他言語を学ぶ方が逆に良いということです。気になると思いますが、詳しくはまた日を改めて書きたいと思います。

まとめ

間違った英語学習が蔓延っていること、正解至上主義、そしてローマ字とカタカナの混乱が日本人の英語力の向上を阻止している大きな要因であることを認識することが大切です。そして出来るだけ英語の勉強を長く継続することでローマ字カタカナの混乱から脱出してほしいと心から願っております。

「ローマは一日にして成らず」身をもって体験するのが英語学習です。

Thank you!!

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